DonAltobelloのブログ

アルトベッロのもの書き人生

二日めのカレーライス16

近畿地方が梅雨入りして二週間がたった。

今年の梅雨は“空梅雨”だとどこかのテレビ局専属気象予報士が言っていたが、まさしくその通りの天気が続いている。

梅雨の始まりを“入梅”と呼ぶことがあり、四季の遷り変わりの中で夏の始まりに降り続ける雨を梅雨(BAIU)という。特殊な気象条件が生む世界でも非常に珍しい気象現象のようだが、毎年当たり前のようにやってくる梅雨は世間一般的には迷惑な天候だろう。

 

 

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久しぶりに休暇をとった柚子は実家にいた。

便利すぎるくらい何の不便も感じない都会から柚子の実家があるこの街までは電車とバスを乗り継いで二時間弱ほどの道程である。同じ大阪府内とはいえその景色は一変するが、高校までをここで過ごした柚子にとってこの街は唯一”心のよりどころ”でもあった。

 

「柚子!夕飯何にする?」

 

居間で新聞を読んでいた柚子の父良介が聞いてきた。

「今日はスーパーが休みだから寿司でもとるか? 君 昔から寿司好きだったじゃないか!」

 

「・・・ん・」

 

医師という仕事に就いてからは忙しかったこともあり実家に帰っても泊まることはなかったのだが、今回は色んな意味で“整理”しておかなければならないと思いつつも柚子自身の心の中が整理できていないままでの帰省であった。

世界脳神経外科学会連盟オランダ本部での仕事は柚子のキャリアにプラスとなることは理解していたが、最低でも五年は戻ってこれなくなる。柚子の父良介も一人暮らしは長いといっても高齢の域にさしかかっている。五年の間に何があってもおかしくないのである。

良介にオランダ行きの話をしておくこと、そして・・・

 

 

そして、父良介との関係に終わりを告げようと柚子は決めたのだが・・・

二日めのカレーライス15

山野辺もそのようだが、私も山野辺の実家に帰るのは一ヵ月ぶりだったこともあり、昨夜はこうパパと遅くまで飲んだのである。

 二日酔い一歩手前の状態で目が覚めた私はこうママの台所で何かを刻む包丁の音に引き寄せられるように居間に向かった。 

 

「こうママ おはよう」

 

「じゅんちゃん おはよう、まだ寝てたらいいのに」

 

「昨日はよく飲んだね」

 

「こうパパ相変わらず強いね」

 

「じゅんちゃんが帰ってきた時はほんと嬉しそうなのよ あの人!」

 

「こうママ、こうパパ 浩太と何かあった?」

 

「う・・・ん・・・」

 

 

高野は三日ぶりに高野コンストラクション社長室にいた。

例の新しいプロジェクトの件で打ち合わせがあったのだ。

 

(コンコン)

「失礼します。」

 

入ってきたのは海外事業本部第一設計部部長の佐渡島壮一であった。

 

「例のオランダ デンハーグ駅の再開発プロジェクトの件ですが・・・」

 

「駅舎部分の設計はオメガの担当だったな」

 

「はい!今山野辺所長と詰めの協議をしています」

 

オランダでのプロジェクトの件もあったのだがこの前のこうママの訳ありそうな返事が気なり佐渡島とのミーティングをそこそこで終え高野は浩太に電話をした。

 

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「もしもし、こう?」

 

「じゅんか!」

 

高野と山野辺は中学からの親友である。バスケットボール部で知り合ったのだが、練習や試合中はお互いを“こう”“じゅん”と呼び合っていた。本当は“こうた”と“じゅんいちろう”なのだが試合中に“じゅんいちろう”と呼ぶのが面倒だということでいつの頃からか浩太は高野のことを“じゅん”と短縮して呼びかけるようになった。それならとこちらも“こう”とよぶことにしたのだが、これは短縮しなくてもよかったのではないかと後々笑い話になった。

 

デンハーグ駅のプロジェクトでは世話になってるな!」

 

「久々の海外プロジェクトにうちの都市環境部の連中はりきってるよ!」

 

「十一月に第二回目の打ち合わせをしたいといってきているんだ!ユーロスター・グループベルギー本社に出張になるけど、よろしく頼むな!」

 

「了解!」

 

高野は仕事の要件を早々に切り上げて例の件をそれとなく確かめてみることにした。

 

「最近は帰ってるのか?」

 

「どこへ?」

 

「どこへって、こうパパ、こうママんとこだよ!」

 

「今年の正月に帰ったきりかな」

 

「半年以上前じゃないか!」

 

「りくがバスケ始めたって言ったっけ?」

 

「りくのシュートシーンの写真入り年賀状くれただろ」

 

「そうだったそうだった」

 

「何か俺も久しぶりに血が騒ぐっていうか、俺がやるわけじゃないんだけど練習を見てたくてな!」

 

「週末はチームの練習と個人練習で実家に帰る時間なんてないよ」

 

「プロにするのか?」

 

「なってくれたらいいなとは思うけど、そんな簡単なものじゃないこともわかってるから、悔いの残らないようにしてやろうとだけ思ってね」

 

「こうママもこうパパも寂しがってるんじゃないか?」

 

「オヤジはりくがバスケ以外にもやりたいことがあるんじゃないかっていうんだけど・・・、わるいわるい、余計な話ししたな」

 

「プロジェクトの件は任してくれ、いいもの上げるから!」

 

「おう!期待してる!」(つづく)

二日めのカレーライス14

本田柚子は大阪医科大学総合医療センターに勤務する脳神経外科の医師である。

生まれは大阪であるが市内ではなく、北部の自然の豊かな田舎町で育った。のびのび育てられたせいなのかそれとも遺伝なのかはわからないが、女性にしては背が高く、よくバレーボールの選手に間違われるほどの体格である。仕事柄、というより洗うのが面倒なこともあり今はショートカットにしている。

 

 今、森尾教授から打診されているのが脳神経外科領域における治療や研修の標準化と改良・普及に携わる仕事なのである。しばらく現場を離れることになることについては自分自身納得済みである。

 現在全国で日本脳神経外科学会会員は8000名、そのうち女性医師は約4%である。専門医になるためには最短で卒後6年というわけだが、海外留学や大学院入学などもあり相応の努力が必要である。

治療対象が確実に増えてきている中、専門医の数が少ないことも事実である。

脳神経外科医としては充実した日々を送る柚子ではあったが、高野との関係性は十年目を迎えた今も大きくは進展していなかった。このままどっちつかずの状態をこれから先も続けていくのかそれとも・・・

 

柚子は迷っていた。高野との関係を、そしてもう一つの関係も・・・

 

 

 

「ただいま!」

 

高野は山野辺の実家のドアを勢いよく開けた。

 

「こうママ!腹減ったぁ!」

 

中学時代からこの第一声は変わっていない。

 

「じゅんちゃん? おかえり! 今日はあなたの大好物の豚肉のハンバーグ、たくさん作っておいたわよ!」

 

豚肉のハンバーグは高野と山野辺が学生時代に、食べ盛りの二人に美味しいものをたくさん食べさせようと山野辺の母親が考え出したオリジナルメニューである。牛肉ではなく豚肉を使うというところが味噌である。ソースが少し甘めで隠し味にマスタードが入っている。

 

「それそれ! それが食べたくなるんだよなあ」

 

「浩太は? たまには帰ってくるの?」

 

「もう半年も電話一本よこしてこないわよ!じゅんちゃんからも言ってやってよ」

 

「そういえばバスケットボール部に入ったんだって? りく!」

 

「プロの選手にでもする気かしらねぇ? 俺に似て素質があるとかなんとかで」

 

「準一朗かっ?おかえり!」

 

二階から山野辺の父親が下りてきた。

 

「ただいま! こうパパ!」「足の具合はどう?」

 

太一は一週間前に階段の一番下の段を踏み外して右足をねん挫したのである。ねん挫自体は大したことはなかったのだが、踏み外した際に壁にかかっていた絵を掴んだため、その絵が落ちて割れた額縁のガラスが足の裏を傷つけ五針縫うケガをした。救急車を呼んだことで近所は一時大騒ぎになった。

 

「ねん挫の方はもうほら、このとおり何ともないんだけど、足の裏を切ったもんだから歩くのが不自由でねぇ」

 

「でもよかったよ、それぐらいで済んで!」

 

「ありがとう!ありがとう!」「あんときは準一朗が来てくれて助かったよ!」

 

「浩太には話してないの?」

 

「ん・・、大したことじゃなかったからなぁ」

 

「そんなことより、めしにしよ! ビール飲むだろ!」

 

「うん!」(つづく)

二日めのカレーライス13

「鷹野先生、本日はお越しいただきまして誠にありがとうございます。本来であれば先生にも一言お言葉を頂戴したいところではありますが、予想を超える出席者でありまして・・・」

 

灯影舎出版社株式会社 代表取締役社長の満島彬が声をかけてきた。

 

「お気になさらず、本日は誠におめでとうございます。」

 

俺も出版社の社長から“先生”と呼ばれるようになったらまぁまぁかな。

そんなことを考えながらニヤニヤしているところに三輪茜がやってきた。

 

「先生、今度新しい雑誌を創刊するって話、しましたよね!」

 

「あぁ、聞いたよ。 医療系の雑誌だったかな?」

 

「はい、最新医療から健康に関わる様々な情報を専門化し過ぎず、大人から子供まで楽しめるコンテンツを盛り込んだ雑誌というのがコンセプトなんですが、その中で灯影舎出版の作家先生と医療従事者の方との対談ページを差し込もうと思っています。その第二回目を鷹野先生にお願いしたいんですが・・・」

 

「受けていただけますか?」

 

第一回目の作家先生が誰なのか気になるところではあったが聞くのはやめた。

 

「勿論台本はこちらで作りますので先生にはお手間は一切取らせません。」

 

「医療ねぇ、あんまり詳しくないけどいいの?」

 

「大丈夫です!」

 

「相手の医療従事者の方はもう決まっているの?」

 

「それも含めてこれからです。編集長には鷹野先生に承諾をいただいたと報告しておきますね!」

 

 

 

「本田くん、今いいかね?」

 

大阪医科大学総合医療センター 脳神経外科部長の森尾教授が声をかけてきた。

 

「はい!」

 

「例の件、考えてくれたかね?」

 

「すみません、まだ結論を出せていません」

 

「現場からは少しの間離れることになるが、世界脳神経外科学会連盟のオランダ本部で研修部門の責任者をするということは、君にとって決して悪い話ではないと思うんだがね」「君を推薦してくださった第四代会長の杉山良二教授の顔を潰さないよう、くれぐれもよろしく頼むよ」

 

柚子は軽く会釈をし、遠ざかっていく森尾の後ろ姿を見送った。

 

「ふっ!」溜息が漏れた。(つづく)

二日めのカレーライス12

「来週の県大会予選、じゅんちゃんのお父さんお母さんも応援に来られるんでしょ?」

 

「い、いえ・・・」

 

「あら、お仕事?」

 

「父と母は僕が4才の時に亡くなりました」

 

「・・・」

 

「あら、ごめんなさい。嫌なこと聞いちゃって」

 

 

私の父は誰もが知るネパールのエベレストや、世界一危険な山と言われるアンナプルナの登頂にも成功しているプロの登山家であり、母親も山岳写真専門のプロカメラマンであった。あるとき母が高山植物の写真を撮りたいといったことから父と二人で南アルプス北岳に登ることになったのだが、幻の高山植物キタダケソウ」を見ることなく雪崩に巻き込まれ八本歯から約500メートル下った大樺沢で亡くなっているのを救助隊に発見された。

 

 

“プロの過信”とか“判断ミス”などというタイトルで新聞やニュースが取り上げたが世間とは実に当事者意識が低いものだと思った。一週間もたてばそんな事故はすっかり世の中から忘れられていた。決して世間の風潮を恨んだわけではない。むしろ小さかった私には世の中の優しさであったのかもしれない。

一度に両親を亡くした私は父方の祖父に引き取られ育てられた。

 

「今はおじいちゃんと住んでいます」

 

山野辺の両親は私を本当の息子のように、兄弟のように心から愛してくれている。

両親のことを話さなかったとしてもこうパパとこうママは変わらず私を愛してくれたと確信できる。今では“こうパパ”“こうママ”と呼んでいて山野辺がいない時でもご飯を食べて風呂に入り、泊まって帰ることもあるのである。

 

 翌日、高野は昼過ぎまで原稿用紙に向かい日課の二十枚を一気に書き上げた。

夕方からお世話になっている灯影舎出版の創立20周年記念パーティに出席するため四時に自宅を出た。

夕方で道が少し混み始めていたが四時二〇分に堂島浜の会場に着いた。入口で担当編集者の三輪茜くんと合流して受付を済ませ、大きな赤いリボンを胸に付けて始まるのを待っていた。私はこういうのがすごく苦手なのだが、今日はスピーチもなく出席するだけだからということで来たのである。

灯影舎出版は中堅の出版社であるが、有名作家を多く抱えていることでその名を知らしめている。

直木賞候補にも選ばれた坂ノ上秋生先生や、最近作品が映画化されてその名前が人口膾炙された北風晶子先生、灯影舎出版創立時から社を支えてきた昭和純文学の左内隆之輔先生など、私が同席するのがおこがましいような錚々たる顔ぶれである。(つづく)

二日めのカレーライス11

「あなた! 今夜行ってもいいか?って!」

 

「誰が?浩太か?」

 

「違いますよ、浩太はもう半年ばかり電話もしてきません!」

 

「じゅんちゃんですよ!」

 

「準一朗か! 聞くまでもないだろう! 待ってると言ってやれ!」

 

「もうそう言いましたよ!」

 

オメガ建築設計事務所の山野辺浩太とは中学校からの親友である。

クラスは違っていたがクラブ活動では同じバスケットボール部であり、当時中学一年生で身長が170センチを超えていたのは私と山野辺の二人だけであった。私はバスケットボールが好きだったわけでもなく、ボールすら触ったことがなかったのだ。

本当は運動系のクラブ活動ではなく文化系のクラブに「ガリ版部」というのがあって、私はそのガリ版に興味をもっていた。

ガリ版」というのは、蝋引きの原紙に鉄筆で文字を刻み、網をかぶせてインクをつけたローラーを転がすと印刷できるという今となっては懐かしい印刷道具である。パソコンで文字を入力しコピー機などの印刷機でプリントアウトする現代から考えると随分アナログな感じがするだろうが、あのガリガリという音が“文字を刻む”という作業を重厚なものにしていたように感じる。若い人は知らないだろう。

 

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そんな運動部とは真逆の部活動に半ば入部を決めていた私は、当時の中学生にしては身長が高かったせいでバスケットボール部顧問の先生に声を掛けられ、格好よく言えばスカウトされ、バスケットボール部に入ることになったのである。

一方の山野辺は小学校の時から小学生のバスケットボールチームに入っていて、体格にも恵まれていたのでそこそこ名前の知れ渡るような選手だったようである。そんなこと知る由もなく中学校でバスケットボール部の新入部員として知り合ったわけだが最初の頃はまったく気が合わなかった。

あるとき、練習中にパスやサインのことで意見が食い違い大喧嘩になった。私の鼻が左に少し曲がっているのはその時の喧嘩によるものだが、山野辺は“顔は殴っていない”と今でも言い張っている。

私と山野辺はいつの間にか一番気の合う親友になっていた。お互いの家も比較的近かったため、学校が終わると私は山野辺の家によく行くようになっていた。一人っ子同士ということで山野辺の父親も母親も私を兄弟のように可愛がってくれたのである。(つづく)

二日めのカレーライス10

高野コンストラクション本社ビル前に一台のバイクが止まった。

図面や契約書など急ぎの配送はバイク便を利用する。一時期は3社ほどのバイク便会社が出入りしていたが現在は1社のみになっており1日に1、2回は利用がある。

 

 有限会社ライトライダ―ズの新海龍は高野の会社の専属ライダーである。市内から市内への配達が主であるがいつ依頼が入るかは不確定なためほぼ一日拘束されているようなものである。新海龍は海外事業本部第一設計部で書類を受け取るよう指示を受けた。

一階受付

 

「バイク便の者ですが、海外事業本部第一設計部の川口さんから書類を預かるよう依頼されています。」

 

「確認いたします。おかけになってお待ちください。」

 

新海龍は受付から一番近い椅子に座って待つことにした。バイク便は一分一秒を争う仕事なのである。

五分ほどの時間が過ぎて・・・

 

「お待たせしました。ライトライダーズの新海さんですね。海外事業本部第一設計部の川口と申します。 こちらの書類を一〇時までにオメガ建築設計事務所の山野辺社長にお渡しください。」

 

こういう場合、大抵は男性か、もしくは全てを知り尽くしたような年配の女性が現れることが常なのだが、明らかにピカピカの新入社員らしき女性が現れたので新海龍は面食らった。

 

「承知しました。ご指定時間内にお届けします。」

 

そう言い終わるか終わらないうちに新海龍は書類に手を伸ばした。その手がたまたま彼女の書類を持つ手に触れ、それに驚いた彼女は書類を落としてしまった。

50枚くらいあっただろう書類が受付フロア一面に散らばった。幸い頁がふってあったため元に戻すのにさほど時間はかからなかった。

 

「どうもすいませんでした。お手数おかけしました」

 

彼女は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「いえ、俺が悪いんです。謝るのは俺の方です。すいませんでした。」

 

急いでいたのは間違いなかったが、もう少しその場にとどまりたいとも思った。

彼女の自然な所作、そして何より俺が今までに見たことがないくらいの素敵な笑顔に俺は完全に心を射抜かれてしまったのである。決して不純な考えからではなく目の前のネームプレートの名前を確認してみた。「陽」の下の字が確認できずすべてを読み取ることはできなかったが、おそらく「川口陽子」か「川口陽美」のような名前なのだろうと推測した。

 「特急」までは必要ないがトラブった分余裕はあまりない。新海龍はオメガ建築設計事務所に向かった。(つづく)