二日めのカレーライス12
「来週の県大会予選、じゅんちゃんのお父さんお母さんも応援に来られるんでしょ?」
「い、いえ・・・」
「あら、お仕事?」
「父と母は僕が4才の時に亡くなりました」
「・・・」
「あら、ごめんなさい。嫌なこと聞いちゃって」
私の父は誰もが知るネパールのエベレストや、世界一危険な山と言われるアンナプルナの登頂にも成功しているプロの登山家であり、母親も山岳写真専門のプロカメラマンであった。あるとき母が高山植物の写真を撮りたいといったことから父と二人で南アルプスの北岳に登ることになったのだが、幻の高山植物「キタダケソウ」を見ることなく雪崩に巻き込まれ八本歯から約500メートル下った大樺沢で亡くなっているのを救助隊に発見された。
“プロの過信”とか“判断ミス”などというタイトルで新聞やニュースが取り上げたが世間とは実に当事者意識が低いものだと思った。一週間もたてばそんな事故はすっかり世の中から忘れられていた。決して世間の風潮を恨んだわけではない。むしろ小さかった私には世の中の優しさであったのかもしれない。
一度に両親を亡くした私は父方の祖父に引き取られ育てられた。
「今はおじいちゃんと住んでいます」
山野辺の両親は私を本当の息子のように、兄弟のように心から愛してくれている。
両親のことを話さなかったとしてもこうパパとこうママは変わらず私を愛してくれたと確信できる。今では“こうパパ”“こうママ”と呼んでいて山野辺がいない時でもご飯を食べて風呂に入り、泊まって帰ることもあるのである。
翌日、高野は昼過ぎまで原稿用紙に向かい日課の二十枚を一気に書き上げた。
夕方からお世話になっている灯影舎出版の創立20周年記念パーティに出席するため四時に自宅を出た。
夕方で道が少し混み始めていたが四時二〇分に堂島浜の会場に着いた。入口で担当編集者の三輪茜くんと合流して受付を済ませ、大きな赤いリボンを胸に付けて始まるのを待っていた。私はこういうのがすごく苦手なのだが、今日はスピーチもなく出席するだけだからということで来たのである。
灯影舎出版は中堅の出版社であるが、有名作家を多く抱えていることでその名を知らしめている。
直木賞候補にも選ばれた坂ノ上秋生先生や、最近作品が映画化されてその名前が人口膾炙された北風晶子先生、灯影舎出版創立時から社を支えてきた昭和純文学の左内隆之輔先生など、私が同席するのがおこがましいような錚々たる顔ぶれである。(つづく)