二日めのカレーライス11
「あなた! 今夜行ってもいいか?って!」
「誰が?浩太か?」
「違いますよ、浩太はもう半年ばかり電話もしてきません!」
「じゅんちゃんですよ!」
「準一朗か! 聞くまでもないだろう! 待ってると言ってやれ!」
「もうそう言いましたよ!」
オメガ建築設計事務所の山野辺浩太とは中学校からの親友である。
クラスは違っていたがクラブ活動では同じバスケットボール部であり、当時中学一年生で身長が170センチを超えていたのは私と山野辺の二人だけであった。私はバスケットボールが好きだったわけでもなく、ボールすら触ったことがなかったのだ。
本当は運動系のクラブ活動ではなく文化系のクラブに「ガリ版部」というのがあって、私はそのガリ版に興味をもっていた。
「ガリ版」というのは、蝋引きの原紙に鉄筆で文字を刻み、網をかぶせてインクをつけたローラーを転がすと印刷できるという今となっては懐かしい印刷道具である。パソコンで文字を入力しコピー機などの印刷機でプリントアウトする現代から考えると随分アナログな感じがするだろうが、あのガリガリという音が“文字を刻む”という作業を重厚なものにしていたように感じる。若い人は知らないだろう。
そんな運動部とは真逆の部活動に半ば入部を決めていた私は、当時の中学生にしては身長が高かったせいでバスケットボール部顧問の先生に声を掛けられ、格好よく言えばスカウトされ、バスケットボール部に入ることになったのである。
一方の山野辺は小学校の時から小学生のバスケットボールチームに入っていて、体格にも恵まれていたのでそこそこ名前の知れ渡るような選手だったようである。そんなこと知る由もなく中学校でバスケットボール部の新入部員として知り合ったわけだが最初の頃はまったく気が合わなかった。
あるとき、練習中にパスやサインのことで意見が食い違い大喧嘩になった。私の鼻が左に少し曲がっているのはその時の喧嘩によるものだが、山野辺は“顔は殴っていない”と今でも言い張っている。
私と山野辺はいつの間にか一番気の合う親友になっていた。お互いの家も比較的近かったため、学校が終わると私は山野辺の家によく行くようになっていた。一人っ子同士ということで山野辺の父親も母親も私を兄弟のように可愛がってくれたのである。(つづく)